試評「靖国参り」

試評「靖国参り」

淵泉


 本作品は、いわゆる現代日本における歴史の忘却を見事に諷刺したものである。この作品の主人公は、「興味のわくもの」意外には基本的に無感動であり、「感動を覚えたことですら一週間後にはケロリと忘れてしまう性質」である。しかし、興味を抱いたことにはとことん調べねば済まぬ性質で、作中における靖国参りも、主義主張というよりは、池への興味に基づいてのことである。大胆にいうならば、自分本位的な人間として描かれているのである。作品の中においては、人目を気にしたり、老紳士の内心を推し計らったり、といった独白をみせるも、それは共感などといった類のものではなく、あくまで自分本位から発せられた「観察」でしかない。そしてそれは想像力の欠如にもむすびついていく。

 こういった主人公の性格のためか、彼は、なぜ靖国に放尿をするのか、しなければならないのか、といったことに想像がいかないばかりか(忘却すらされる)、ましてやアナウンサーの読み上げた原稿の問題性にすら関心がいくことがないのである。彼の中では靖国をめぐる問題など、問題にすらならないのである。また、特攻をせずに済んだ祖先に想像はいくものの、それは身近な戦争の悲惨さなどとして想起はされない。

 こうした主人公の特徴はまさに現代日本で比較的容易に目に入るのではないだろうか。例えば、覚えた感動もすぐ忘れるという特徴は、単に文中で独白されるような「頭の悪さ」に由来するのではなく、動かされやすい、という側面があることを推測させられる。そうした側面は、『永遠のゼロ』のような一種の英雄譚を「娯楽」として享受し、そして感動するといった、現代日本の動かされやすさにリンクさせることも可能である。しかし、このとき、動かされるものたちの脳裏では、あの戦争と、そしてそれにいたるまでに行使された暴力や侵略の背景が、おざなりにされているのである。それは、あの時代を身近なものとして「感じないように」生かされてきたものたちにとって「典型」のことなのであろう。

 戦後日本は、東アジアの冷戦体制の中で七十年以上をかけて、あの戦争とあの戦争にいたるまでに行使された暴力を忘却してきた。あの戦争はなんだったのか、あの侵略はなんだったのか、あの植民地支配はなんだったのか。焼土からの戦後復興のなかで、新しい外観をもった建築物を建てることで、過去を忘却していった。しかしどれだけ新しい建物を建てようとも、土はそのままであった。あるいは焼けた旧い建物が土となった。ゆえに、いつしかそれは声をあげ始めた。意図的に忘却したものにとっては耳をふさぎたい声であった。無意識に忘却させられたものたちにとっては、予期せぬ声であって、それに狼狽することとなった。後者はそのうち、二つの態度を示すようになった。無関心という土台をつらぬき、自己のみを相手にするもの、関心に転じ、動かされながら、集を装い、自己に閉じこもるもの。

 戦後の七十年以上の間では、戦中、戦前を反省する動きも存在した。しかしそれは、一部にしか継承されず、大多数の本作の主人公を産むことを許してしまった。

 昨年、本学の小平祭で百田尚樹を講演に呼ぶということで反対運動が起きた。その際、その運動に参加した者たちの中ではある言葉がつぶやかれたという。「日本の教育の敗北だ」。大学院生とし本寮に住む私たちは、この言葉と本作の主人公をどのように考えればよいだろうか?

 本作はそういったことをわたしたちに諷刺という形をもちいて問いかけてくる。

 そして、主人公とは関係のないところで本作はある一つのことを暗示してくる。涙さえ流されたあの神秘的な池は業者によって着色されたものであったという結末。それは、あの感動によって、動かされる感情を作り出す装置が、いかにチープで陳腐か、ということを想起させられる。主人公は安いネトウヨのような存在ではない、しかし、靖国にこだわるような安い「ナショナリスト」もまた靖国というチープで陳腐な装置に動かされているのである。本作はそれを暴露している。そういったことを考えていないと表明する主人公の思いとは裏腹に主人公はそれを気付かされてしまうのである。

 最後に靖国に祀られているのはなにも「日本人」だけではないことに言及しておく。ここには植民地出身の兵士や軍属も合祀されてしまっているのだ。植民地期において暴力を施行したばかりか、死後の魂まで縛ろうと、戦後もとい死後までも、日本は多重に暴力を行使しているのである。

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