クリーンセンタートコタケ

1. 知らざあ言って聞かせやSHOW 
 ハマーでクラブに乗り付け、巨体を揺らしハコを揺らす。熱がこもり、揺れるハコの中は蠕動する一つの内臓のようにヘッズを溶かし込んでいく。その中心にある熱源は、ゴールドチェインを首に巻き、オーバーサイズのファッションに身を包みながら、がなりあげる。熱を帯びた空間を支配するのはTOKONA-Xと名乗るラッパーである。

 「知らざあ言って聞かせ」るが、彼こそは、横浜出身、常滑に引越し、名古屋を中心に活躍したラッパーであり、名古屋からシーンを揺らすさなか、突然死んだことで、その名は日本語ラップの歴史にあまりに強く刻まれることになった。曲や写真、断片的なエピソードから想起される彼のイメージは、以上の太く短く熱を帯びた一貫性を持つものとして浮かび上がるように思える。

 TOKONA-Xが生きてる間にクラブに行ったことはないし、実物を見たことはない。インタビュー記事さえまともに読んだこともないが、曲から想起されるイメージ上のTOKONA-X(以下必要ある時以外TXと略す)は、つねに巨大な身体で、名古屋弁でドスの効いたラップを吐き出す。燃費の悪く大きなアメ車のハマーは、そんな彼のラップにいかにもふさわしい。ブリンブリンな態度、リリック、フロー、伝説、ファッション、生き様、死に様。どれも非常に「らしさ」がある。それは後付として神格化され構築されたものかもしれないが、であっても、感じ取ってしまうその太い一貫性は、聴くものを震わせる。しかしながら彼の根幹にはある矛盾が存在するのではないか。そしてそこから透かし見える姿は何かを忘れようと震える傷ついた魂である。

 TXの矛盾は、どこがhoodであるか?というところにある。名古屋だがや。そう即断されるかもしれない。いや、名前の由来にもなる常滑だら。そういう答えもある。問題は彼がこの二つを同時にhoodと言っている点にある。この二つのhoodという矛盾は彼の一貫性と合わない。らしくない。矛盾というよりも、揺らいでいるという方が正しいか。それは、彼の名にも由来する揺らぎだ。

2.What's Your Name? 
 TOKONA-Xという名前は、愛知県は知多半島、窯業と競艇と空港がある街、常滑市から取られている。TXが常滑に対してアンビバレンツな感情を抱いていることは、後で見るように、あるいはいくつかの歌詞からも類推できる。少年時代に、横浜から流れて在所トコナメに行き着いたのであるから、ジモトとは言えない疎外を感じたことは想像に難くない。

 そのため、彼はhiphopを与えてくれたhoodを名古屋だと高らかに宣言する。しかし同時に常滑もhoodだと言い、TOKONA-Xを名乗った。われわれがrepresentについて考えるとき、彼の態度を考えることは重要だろう。 

 TOKONA-X?

 ところで、-に挟まれた最後の文字のXは、メをズラしたものとして理解されることが多いように思う。しかし、そのようなズラしは、地名を諧謔的に読み替えたというよりは、明白な切断こそ読み込めるのではないか。実際、トコナという呼び方に、常滑という実際の地名や文化を想起させる部分は非常に少ない。トコナと呼ぶ時、常滑市を想起することはほとんどない。彼の固有名と一旦切り離し、トコナと舌を転がしてみれば印象が大きく変わる。メを消去することで、常滑市という具体的な質量を持つ名前は、JR東日本のiCカードの名のような、どこにもないのっぺりとした印象のつるつるとした語感へと変わる。

 TOKONA-XのXはバッテンだったのではないか。これが論じたいことの一つである。文字の上から書き込まれたバツ印は、常滑という印象を切断し、にもかかわらず常滑という印象を温存する。そこには彼のhoodについての意識が込められてはいまいか。彼が馴染めなかったどえらげねえ狭いコミュニティに反発しつつも屈折した愛着を抱くような相反する意識があるのではないか。その矛盾した態度は彼の一貫性と反したナイーブな内面を晒しているのではないか。

3. Where's my hood at? feat. MACCHO(OZROSAURUS)
 あまり一足飛びに行かずに、具体的な楽曲の分析からはじめよう。それはもちろん、hoodについて彼のアンビバレンツが現れた名曲である「Where's my hood at? feat. MACCHO(OZROSAURUS)」をおいて他にはない。

 この音源には元ネタがある。90年代ウェッサイ黄金時代の代表曲、Warren Gのregulateである。さらにいえばこの曲もMichael McDonaldのI Keep Forgetting をサンプリングしている。とはいえ、後述する文脈からむしろregulateを強く意識していたと解釈するのが自然だ。それはこの曲の文脈と、regulateの持つ文脈が響き合うからである。

 Regulateはニューヨークのイーストサイドから西海岸のウェッサイへとhip-hopの中心地を移すべく起きた動きの中で、西を代表する曲だった。東西紛争が悲劇をもたらす少し前、闘いが未だ文化の水準で行われていた時、東が最強のプロデューサー陣で売り出した天才NASのファーストアルバムILLMATICにぶつけられたのが、213のナード、ドクタードレの弟WarrenGのRegulate feat. Nate doggであった。売上枚数を勝敗の基準にするならばこの勝負はウェッサイ(ウェストサイド)の勝利に終わった。hip-hopの生誕の地であるニューヨークのブロンクスに対抗した西海岸のウェッサイhip-hopは、regulateの大ヒットで勢いを強めていく。

 これは、90年代の終わり、2000年に差し掛かり、東京に対してその西の方から独立独歩を叫んだTXたちの世代を奮い立たせる曲でもあったはずだ。東京を中心としたカルチャーとして継受されたヒップホップは、jpopに回収されたグループとアングラな空気残る日本語ラップとに分岐していった。そしてお気楽なJRAPを打ち倒し、ハードコアな日本語ラップを宣言しようと、のちに伝説となるさんぴんキャンプが開かれる。そしてその場に、若きTXも呼ばれることとなる。しかしTXはさんぴんキャンプでの不愉快な経験を経て、JRAP /日本語ラップという友敵の基準を、東京/ローカルという異なった友敵の枠組みへと組み替えていくムーブメントの一翼を担うようになる。彼は東京中心主義を批判し、東京の西(ウェッサイ)から独立を宣言し、各地をレプリゼントするhoodの時代を高らかに歌い上げた。東京に対して名古屋、横浜、北海道、仙台etc。そして同様に東京のわずか西、045の市外局番、横浜で生まれた浜の大怪獣も同志であった。その怪獣MACCHOが客演を務め、regulateのトラックでhoodを歌う。まずもってこの曲は日本においてhoodをレプリゼントするhiphopの嚆矢として、歴史の中で位置付けられよう。

 しかしながら、この曲をよく聴けば、どこがhoodか?という根幹となるべき問いかけに対して、先に示したように矛盾する二つの答えが出されていることがわかる。そして、むしろ元ネタの元ネタであるMichael McDonaldのI Keep Forgettingのサビが、何かを忘れ続けようとする切ない意志とともに浮かび上がってくる。

 生まれも育ちも横浜のTXが、家族のトラブルから「つられてった先は在所トコナメ」。急な転校で横浜の都会から連れられて行った先は、何もない田舎。彼にとってそこは心地よい空間ではなかった。「何も知らんオレにゃあ冷てーもんだド田舎の百姓が/ドエラ気ない狭いコミュニティー」。右も左も分からない転校生に対峙したのは排他的な田舎者の人間関係だった。しかし、「そこはオレの全てが変わったmy hood」と常滑がhoodであることが最初のverseで明かされる。しかしながら次のverseでは、「名古屋目指して行きました/そこは認めてくれたオレを/何も無ぇオレに全てをくれたmy hood」と名古屋をhoodとしている。これはどういうことなのだろうか。

 どちらがhoodなのか、という問いの立て方は、hoodは一つであるという前提からなされる偏狭なものとして否定されるかもしれない。つまり、常滑も名古屋もhoodであるという答えは矛盾しない、と。たとえばSCARSは川崎をhoodとするラッパーであり、川崎をレプリゼントし「俺のhoodは川中島」と歌う。そこに矛盾はない。なぜなら、区域として川中島は川崎市という行政区域に含まれているからである。とはいえ、単純な事実として名古屋市は常滑市を含まないし、常滑市は名古屋市を含まない。この二つをレプリゼントするにはより広域の愛知や東海という広域をレプリゼントするほかはない。トウカイテイオーというアルバム名は、東海の帝王を指しているため、以上の解釈も可能ではある。しかし、具体的に歌詞を見ていくとトウカイという単位に彼はそこまで愛着を示していないように思う。以下では具体的に矛盾がいかに解消されたのか、あるいは残されたのかを見ていこう。

 1stverseにある「順風満帆きとりゃよmy life /RAPみたい今頃しとらんわ」という歌詞から、常滑に行くという経験が彼をしてラップに向かわしめた原動であることがわかる。つまり横浜から常滑の移動で喪失したものが創作の起点となり、名古屋に出てラップに出会うことで名古屋が「何も無ぇオレに全てをくれたmy hood」となったのだ、と。原点としての故郷と、第二の故郷、どちらもレプリゼントしているため矛盾はないように見える。この解釈を是非する前に2nd verseを見ていこう。

 常滑でどついて友達を増やしたものの、「下手に気ぃ使う継母/腹遣いの年の離れた弟/体こわした親父だのイケてねー」という新たな家族のトラブルは彼を悩ませた。しかしながら「だけど何か変わっとる/あっこで何か変わったのはわかっとる」と歌った後に、名古屋に行き着き認められ、名古屋を「何も無ぇオレに全てをくれたmy hood」として言挙げする。

 ここで注視したいのは「あっこで何か変わったのはわかっとる」の中の「あっこ」という代名詞だ。1st verseから2nd verseへの移行で、常滑=そこ、から常滑=あっこと、指示代名詞の距離が変わっているのだ。この代名詞の変化は、過去を振り返り現在に近づくにつれて常滑の位置がTXの中で遠ざかっていることを示しているのではないか。

 3rd verseにおいて、現在の仲間への感謝を述べながら最後に彼はhoodについてこう答える。「やっぱオレの地元はここだ名古屋がmy hood yeahオレの全てだ」と。「ここまでこれたっつのはなんかな?産んでくれた親に感謝しなかんかな?」と照れながら、過去の想起から現在にたどり着き、照れ隠しに「いらん話をようけわりー/眠てー話までようけようけわりー」と歌いながら、名古屋が、名古屋こそが地元であり、彼の全てだと結ばれる。つまり、二つのhoodという疑問は最後のverseにおいて、やはり名古屋がhoodだと解決される。常滑は彼の意識から遠ざかり、名古屋、hip-hop、homieに出会った以上消えゆく媒介者として記憶の底に沈殿していく。常滑は彼の名前にわずかに痕跡が残るのみである。

 未だ二つの解釈があるだろう。一つは常滑も名古屋もhoodである。一つは名古屋のみがhoodである。ただし、どちらにおいても常滑は名古屋=RAPとの出会いを可能にしたものとして扱われていることは明らかだろう。そして、彼と常滑の距離は、代名詞の変化や最後のverseから明らかなようにどんどんと離れている。hoodが土着を、つまり根を生やしたその土を表すのだとすれば、遠景に見える常滑をTXはなぜhoodとしたのだろう。そして冒頭の疑問に戻れば、なぜ彼の名はTOKONA-Xという常滑を意識させつつ消去するものなのだろうか。 こう考えても良いのではないか。嫌な記憶を加工して呑み込むために、常滑をあえて直視してhoodとして位置付け、現在の成功の系譜に位置付けたのだと。TOKONA-Xという名もまた、成功の裏に張り付くトラウマをあえて直視して併呑することを企図して付けられたと。そして彼の自己は安定し、トコナが生まれたのだと。つまり記憶の中で、名古屋へと至る進歩史観の前史として常滑が組み込まれ、常滑もまたhoodであるという一見矛盾した答えが生じたのだと。

 死者に鞭打つわけではないが、しかし、そのいじましい努力は、結局「イナカを離れて都市へ出る」人たちと同じ論理ではないか。都会に出た田舎モンで構成された東京中心主義を批判したのが彼らレプリゼントを旨とした世代ではなかったか。「田舎もいいワネ」とたまに現れて語るトカイモン。日本におけるもっとも大きな都会は東京であり、その中心化作用と遠心化される田舎の問題は、常に問題になってきた。

 ここには大きな逆説がある。

 このような彼の言語行為は、常滑を名古屋が呑み込むという論理を構築した。曲で描かれたhoodをめぐる精神の運動は、彼の魂の平安だけでなく、名古屋という土地の重力の増大に一役買った。つまり、東海圏のラッパーの多くが、自らのhoodを名古屋に併合することになったのである。端的にいえば名古屋以外のシーンがまともに育たなかったのだ。これはTOKONA-Xの早すぎる死も一因となったかもしれないが、横浜のMACCHOというカリスマがいるにもかかわらず、神奈川は分極化し相模原、川崎といった他のhoodもタレントを揃える。それに対して名古屋以外の愛知はどうだろうか?東京との距離もあるかもしれない。ただ、一因はあまりにも偉大だったことのみならず、名古屋という都市に東海圏の街を包含してしまう論理を、TX自身が構築してしまったことにあるのではないか。それはさまざまな分極的なシーンの発達にとって、阻害する機能を果たしてしまったのではないか。レプリゼントを叫んだTOKONA-Xが、そのhoodを語ることで、むしろ分権を阻害するという皮肉な帰結を生じさせた。このうがった解釈は誹謗だろうか。そしてそんな部外者的な批判は東京都民に行う権限があるのだろうか。

 TOKONA-Xのhoodが常滑→名古屋という形で取り込まれ、名前を冠するにもかかわらずトコナメに貢献しなかったと詰るのは、私が「どえらげねえ狭いコミュニティ」で18年生きてきた「ど田舎の百姓」がゆえの僻みとして捉えられても仕方ない。

 地元民として語るなら、常滑市民を百姓として対象化したことも、TXが彼の地で根を持たなかったことを示唆する。たとえば、常滑は四つの校区を抱え、それぞれが異なった地理的、産業、歴史の蓄積を持つ。古窯、漁村、農村、酒造、競艇etc。街の歴史は重層的であり、常滑=田舎=百姓というステレオタイプが出現したことは、友達を作ってもなお、彼が疎外されていたことを指している。彼は街を知ることができなかったのだ。そこに彼のストリートはない。余所余所しく、そして意識をせざるを得ない場所。何かが変わった場所であり、嫌な記憶の堆積した場所。生まれたところから強制的に来させられた場所。TXの名は、彼が常滑への土着化に失敗したことを、そして土着化を望んでいたことを、Xというよりも×(バツ)として証したてる。忘れようと懸命になりながら、忘れられない場所。彼は常滑を忘れ続けようと(keep forgetting)している。

 横浜→常滑→名古屋。魂の遍歴は、名古屋を終着地とし、経由地点は名古屋へと取り込まれ大ナゴヤができあがる。しかしながら、地と血から見放されナゴヤにたどり着き、新たな地と血をつくりあげた偉大なラッパーが誕生したことも事実である。さて、偉大なラッパーに比するべくもないが、常滑に屈折した意識を持ち、名古屋の重力圏を振り切って東京に吸い寄せられ、できの悪い批評のようなものを書く私のhoodはどこか。それもまた問題である。Where's my hood at?

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