靖国参り

文藝欄編集部より

 『中和月報』創刊以来、文芸欄も併設されたが、幸いなことに、多くの執筆者は作品を寄せてくれた。その中には小説作品も含まれている。しかし、掲載にあたってはいささか難航するところがあった。この作品、名作であることには間違いないのだが、その文章の表現のために、読者の中には眉をひそめるものもいるかもしれない、と推測したためである。昨今、多くの雑誌で人を害する文章が掲載されたり、そのような書物が出版されたりしている。本誌はあらゆる歴史修正主義的見解、差別的見解、搾取などを正当化する見解に反対の声をあげる。今回寄稿された作品は、敏感な部分はあれど、結末まで読めば、そういった歴史修正主義を正当化するものではなく、むしろそれらの諷刺であることは明白で、それゆえに、非常に現在的意義に富んだ作品であると判断する。今回掲載に踏み切ったのは、そういった理由による。

 本誌はこの作品をきっかけとし、現代日本社会に批判を投じるとともに、徹頭徹尾、現代日本、そして社会が抱える問題に向き合っていくことを標榜する。なお、本誌における全ての責任は、発行人と編集部にある。


靖国参り

蔵野中


 そして、私は靖国神社に行こうと思いました。

 崇高なる愛国心に目覚めたからでもありませんし、右翼思想にかぶれたからでもありません。勘違いしないでください。右翼でなくとも一般的な日本人であれば英霊を敬って靖国神社に一年一度参拝するのが当然の話だと演説をぶちたいわけでもないのです。そして逆に、これまた勘違いしないでいただきたいのですが、そうした演説を批判しているつもりもないのですし、靖国神社は戦争動員のための国家装置なのだと考えているわけでもありません。一週間前に、私は百田尚樹先生の『永遠のゼロ』を読んで感動して泣いたばかりなのです。しかし、『永遠のゼロ』に感化されて靖国に参ろうと思ったのかというとそれもやはり違いまして、というか、『永遠のゼロ』の内容はもうほとんど忘れてしまいました(「忘れた」と言うことで『永遠のゼロ』が下らない小説だと暗に批判しているのだとどうぞ受け取らないでください。私ごとき底辺売文業者が超ベストセラー作家百田先生を批判できるなどとは考えておりません。単に私の頭が悪いのが原因で、感動を覚えたことですら一週間後にはケロリと忘れてしまう性質なのです)。

 のっけから話が回りくどくて、すみません。今からお話することはもしかすると回りくどいことばかりで、本筋のお話に辿りつけるかもわかりませんが、相容赦してください。回りくどいばかりか、ほんとうに初めから最後まで下らない話で終わってしまうかもしれません。ここから先お聞きになる方も、どうぞそれをご承知いただき、もし面白いと思う所がありましたら、それだけをつまみ食いのようにして聞いて下さい。

 靖国神社に行こうと思ったのは、とあるテレビ番組をその前の晩に見たからでした。なんという番組名だったかは覚えていないのですが、「韓国人の国民性を問う」というテーマで討論をするバラエティー番組だったことは確かです。決して真剣に見ていた訳ではありません。私は夕飯にカップラーメンをすすっている最中でした。恥ずかしいながら四十五歳になっても妻子もおらず、まして彼女さえできたこともないので、今日も一人で侘しい晩餐であったのですが……それは脇に置いておきましょう。番組についてです。こうした政治的な番組を見ることは、私の趣味ではありません。その前にやっていた女子バレーボール中継を、観ていたのです。そのまま、その番組が知らぬ間に始まっていた次第でしたので、まさにチャンネルを変えようと思っていたところでした。

 次の討論テーマは靖国神社についてでした。私はなんの理由もなくテレビリモコンを机の上に置きました。本当になんの理由もなく、です。「総理の靖国参拝は賛成か、反対か。」というアナウンサーの声を聞いて、麺をすすります。


「靖国神社には国家のために命を賭した戦った英霊たちが祀られています。A級戦犯の合祀を過剰に問題視する人たちの声が大きいので誤解している人もいるかもしれませんが、靖国に祀られているのは第二次世界大戦で命を失った人々だけが祀られているのではありません。明治維新時に命を失った志士たちから始まり、日清戦争、日露戦争の戦没者もそこには含まれています。明治以来、日本の国難に際して文字通り命懸けで戦って亡くなった人々がそこでは祀られているのです。日本のために戦った人々が眠っている靖国神社に、日本国を代表して首相が靖国神社を参拝することは当然の行為です。しかしながら、中国や韓国は、首相が靖国参拝をするたびにクレームをつけてきます。それだけではありません、韓国人の民族性ゆえでしょうか。非常に残念な事件が最近起こりました……」


 私はあいもかわらず無感動にテレビ画面を見ています。動物番組を見ているのとほとんど同じような無感動で、です。つづけて、


「今インターネット上で話題になっていますが、とある韓国人が靖国神社の池に放尿をして、それを自分のブログにアップロードしたのです(「ええ~」という観客の声)。あまり知られていませんが、靖国神社には人工池があります。神池庭園と呼ばれている、明治時代に作られた由緒正しい日本庭園の池であり、秘かな名勝として知られています。靖国という英霊を讃える…」


 テレビ画面に、その池が映されてました……ほんとうに突拍子もないと思われることでしょうが、私が靖国神社に行こうと思ったのは、この池をぜひともこの目で実際に見たいと思ったからでした。そうです、私は、テレビ画面に映し出された靖国のその池に、それはもう、たいへん綺麗な池だとうっかり感動してしまったのです。それは鮮やかな青緑色をして、あたりの木々の紅葉となりゆくのと好対照をなしており、およそ神秘的なまでに、表面に深さを突き出しているようでした。

 私は食い入るようにテレビ画面を見つめました。しかし、その池のえも言われぬ神秘を指摘する方はコメンテーターにはおりませんでした。……これまでも世の中で何度も経験してきたことではありますが、多くの人たちが当たり前のこととして知っていることを私だけが知らないということはさして珍しいことではないのです。コメンテーターの方々は、この池のなんとも言い知れぬ魅力や神秘についてはすでに十分に承知しているところであって、知らないのはまたもや私だけというあんばいなのでしょう。コメンテーターの方々は、その池に放尿した韓国人たちへの非難をひとしきり並び立てた後に、むつかしい政治の話に没頭しておられました。私はまたあの池が映されないだろうかとテレビにかじりついておりましたが、最後までそれはありませんでした。

 私は、一度惚れこんだら徹底的に調べ上げる人間です。これまでも、駄菓子や、三毛猫や、ロウソクや、切手や、網戸や、ペットボトルの蓋や、入浴剤や、湧水など、多くのものに惚れ込み(こうして列挙すると下らないものばかりの気がして我ながら愕然とします)、人生の多くの部分をつぎ込んできました。何の役にも立たない知識ばかりが膨れ上がって、例えば湧水に関してですと、「六本木にも湧水はあるのだ」等ということを知っては大はしゃぎする人間ですので、「今度のテーマは『池』になるのだろうか」という、我ながらやや不吉とも言える予感を覚えながら(私だってもう少しマトモなものに興味を持ちたいのです)、私はインターネットで靖国神社の池をさっそく調べはじめました。

 ところがさっそくグーグルで検索をかけてみると、靖国神社の池について知りたいのに、「放尿」の話ばかりがヒットして、ページを埋め尽くしてくるのです。私は夜通しグーグルで調べましたが、「放尿」以外の情報を知ることはほとんどできませんでした。私は、放尿をした韓国人と「愛国者たち」に、等しい憎悪をおぼえました。わずかに役に立つ情報として知ることができたのは、その池がもともと明治時代に作られたもので、最近になって改修されて庭園として蘇ったということだけでした。

 どうも「入り」からややこしくて申し訳ない限りなのですが(まだ私の話を聞いてくれている人も少しはいるようですね、ありがとうございます)、そうしたわけで、私は靖国神社に行こうと思いました。それに私は少しだけ計算もしていたのです。靖国神社の池の紹介文を書いて、雑誌『月刊 東京の水』に持ち込めば(つい先月まで湧水関係で連載をもっていたのです)、もしかしたら幾ばくの金になってくれるかもしれない、と。

 明け方まで、飽きるほどの「放尿」という文字を見るインターネットサーフィンをしていましたので、起きたのは午後一時です。身支度を整え、商売道具の一つとなったカメラ(辛うじてカメラと呼べるようなものです)をもち、家を出て、ずっと小石を蹴りながら(私の散歩の隠微な楽しみ方の一つです)、駅に向かいます。

 電車に乗りまして、初めて気がついたことがありました。あれだけ大々的な話題となっているのであれば、今頃、靖国神社の池は大勢の人間によって埋め尽くされているのではないのか、ということです。私と同じように単に池を見たいだけの人畜無害で低俗な連中ならば問題ないのですが(私も含めてちょっと鼻をつまめば倒れてしまうような人たちですので)、「愛国者」たちも池に来ていて、日の丸にかこまれたらどうしようかと戦々恐々してきたのです。私はとたんに恐ろしくなって身震いしてきてしまいました。私の向かい側に座っている、おそらくは女子大生が、私をチラと見て、下を向き、笑っていました。そして、スマホに何やら文字を打ち込んでいます。彼氏あるいは友達とのLINEで笑いものにされているのでしょうか、それともtwitterで悪口を書かれているのでしょうか。今さら気がつくのも可笑しな話ではあるのですが、秋もそろそろ終わることだというのに私は間違えて下駄を履いてきてしまっており、私の身震いに併せて「カタカタカタカタッ、カタカタッ」と下駄は車両全体に響き渡る音で鳴り響いていたのです(地下鉄での話です)。私は靖国神社に着く前から、すっかりと意気阻喪だったのですが、ここで再び自宅に引き返しては、それはそれで別種の自己嫌悪に陥ることは分かっておりましたので、つとめて楽しいことを次から次へと考えているうちに(ああ、いったいこの時の私の顔は変態的にニヤけていたのではないかと想像しますと、また複雑な気持ちになってきます)……九段下駅に着いたのでありました。

 どうも話があちらこちらに飛んでややこしくなってしまっていますね。このように私小説気取りでお話しているのですから、西村賢太先生の小説のように私も、内縁の妻に罵声を浴びせてみたり、有り金叩いて家の中に墓を建立するようなことをしなければ物書きの端くれとして示しがつかないし、聞いてくださっている方(おや、だいぶ数が減ってきましたね)にも申し訳がつかないと考えたりもするのですが、私が西村先生と似ている点は唯一貧乏であるというそれ一点であり、しかし、西村先生も芥川賞を獲得されてからというもの、今や超売れっ子作家ですので、今やその唯一の共通点さえ失われた私は……さきほど話を戻すといったところでした。本筋は、靖国神社の池を、この目で、しかと、確かめるというところにあるのです。

 私は東京生まれ東京育ちでして、四十五年の間東京に住んでおりましたが、これまで靖国神社に足を踏み入れることがついにありませんでした。何度も申し上げているように特定の思想信条によって敬遠していたわけではなく、単に興味のわくものではなかったからです。とはいえ、私の家族にももちろん戦争関係者はいました。母方のお爺さんは、特攻隊隊員でした。いよいよ明日太平洋にその身を散らせるのだ、という段になって、朋友たちが家族への手紙を、涙を隠して、したためるなか、彼は最後に「男として生きている内に是非ともやらねばならぬことがある」と思いたち夜中に宿舎から抜け出し芸者所に出かけておりましたところ、上官にそれが見つかってしまい「お前は特攻隊の恥だ」とたいへん厳しく叱咤され謹慎処分を食らったその翌々日に終戦となって命拾いをしたのです。彼の他に私の親族に戦争に駆り出された者がおりませんでしたので、しぜん私も、「英霊」と言われても、どうもピンと来ず、靖国に参ることもなかったのです。

 九段下駅から靖国神社まで歩いて十分もかからないはずです。街路樹はすでに紅葉に色めき、やたらと大きい鳥居(日本一の大きさを誇るようです)をくぐります。境内では、奥様達が、ワイワイと遊ぶ女児たちを時折叱りながら、話し込んでいます──千代田区のど真ん中、しかも靖国神社で、どこにでもあるような光景に出会い、さきほどまでの身震いとは一体なんだったのだと感じながら(しかしまだ油断はできません。拝殿までは、もう少し距離があります)、私は歩きます。

 拝殿にまで着くのは、本当にすぐでした。さきほどから見えてはおりましたが、またもや人を脅かすようなやたらと大きな鳥居(第二鳥居と言います。青銅製の鳥居としては日本一の大きさであることを後から知りました)にまず度胆を抜かれましたけれども、その鳥居の向こうに見えております、菊の大きな垂れ幕は、やはり厳粛そのものであります。「厳粛」と言いましたが、しかしながらより正直な感想を言いますと、神社については、私も、その独特の妖気を気に入って様々と巡り歩いたものですが、靖国神社は、人を脅かすようなわざとらしささえ感じる楽しい装置はたくさんありますが、不思議と神社特有の妖気を感じることはなく、郊外のやたら大きな公園をめぐるようなピクニック気分とでもいうのでしょうか、そうした暖かな陽気の朗らかさをたたえているのは、本来日本の神々は大らかであるということに由来するのでしょうか、いささかとも神社らしくない神社に私は少々面食らってもいたのでした。この思わぬ朗らかさにすっかり緊張の糸がほどけた私は、楽しいとある連想が頭に浮かんできてしまい(さすがにここでも申し上げることが出来ません)、内心から除去しようとすればするほど、それを嘲笑うかのように頭にその連想がやってくるのですが、例えば目の前にいる警備員や警官にそんなことを見破られてしまっては、何かの罪を着せられて逮捕されてしまうのではないかと思い直し(私はどうも警官というものが苦手で、何も悪いことをしていなくてもつい「私は悪い者ではありません」とわざとらしくニヤニヤと愛想の微笑みを浮かべてしまうのですが、それがいよいよ本物の悪者らしく彼らの目には映るのでしょうか、笑顔を返してくれる人はたいへん少なく、そればかりか職務質問された回数はおよそ数えきれないのです)、私は、「まだ油断も隙もないのだぞ」と自らに言い聞かせ、朗らかさを自分の内心からすっかり駆逐するように努めまして、なるたけ下駄の音が鳴らぬように(またふざけていると思われても癪なのです。それに先ほどから警備員にジロジロとみられているような気もするものですから)、私は歩を早めました。

 どうも、脇道に逸れてばかりで、すみません。靖国に来て参拝せずに池だけを見るのもナンセンスな気がしましたので、私は世界平和を願って参拝をすませました。すっかり自分自身でも忘れていたのですが、強硬な政治的主張を行う人々には少なくとも今のところ出会うことがないことに安堵の念を覚え、空はいよいよ高く、残すは念願の池の見物です。

 あれほどの世間の話題をさらっていた靖国の池は、静謐をまもっていました。私の他には、誰一人として、おりませんでした。

池の水は透き通るような、それでいて深い青緑色を演出しています。数匹の鯉のおだやかに泳ぐのが、池にうつる天空越しに眺められます。池は、深海のもつ冥さと天空の神々しさの奇跡的な調和を実現させ、その無限を秘めた運動のエネルギーは、老樹がそうであるように、あくまで謙虚に自分を隠しているのです。私はほとんど眩暈をおぼえました。テレビやインターネットで見たものも十分に私を感嘆させたものですが、実際に見た池は、想像していた以上のはるかな神秘さをたたえていたのです。

 どのくらいの時間が経ったのでしょうか、私は、池のほとりにある東屋のベンチから、じいとその風景を眺めていました。「放尿」も「愛国」も何もかも完全に忘れ去って、その池を、自分が同一化するのではないかと錯覚をおぼえるまでに眺めておりました。すると、一種の瞑想状態に陥ったのでしょうか、体中に膨大なエネルギーのあくまで穏やかに充溢してくるのが感じられました。しぜん、ひとすじの涙が零れたと思えば、潸々と流涕しておりました。どうして涙が止まらないのか自分でもさっぱり分からなかったのですが、どうしても流れるものは流れると決まった以上流れるものでして、たいてい私も自分が精神的に健常だと胸を張って言える性質ではありませんが、さすがにこのようなことは起こったのは初めてでした。涙の激しさは、これはあきらかに池の静謐に自分が負けた証なのであろうと、私は涙の向こうに見える池の神秘的な色に見入り……

「どうなさいました? 大丈夫ですか?」

 他人の声が耳に入り、我に返りました。ハッと隣を見ますと八十歳前後の老紳士がいました。黒檀細工のステッキに手をかけ、柔和な表情で私を見つめております。

「どうなさいました?」

「いえ、あの……」

 池を見つめていたらトランス状態になっちゃって涙が勝手に溢れてきた──それは本当のことではあるのですが、ふざけすぎていることは自分でも分かっておりましたし、もしかしたら、この老紳士は、私のことを、靖国に来て親族のことを思い出して涙している人だと思っているのかもしれない、と感づき、そうであればますます自分のおふざけを思って、しどろもどろになってしまいました。

「いえ、いえ。別によろしいのです。今日は天気がよろしいですなあ」

 と、ニッコリと天をあおぐその仕草は、往年の笠智衆を思わせる含蓄を持っている気がして、私はあたふたして、

「本当に。そうですねえ」

 と、笠智衆の影響を受けてか、小津映画にでも出てきそうな無意味な言葉の応酬のなかにある含蓄につい私も乗っかってしまったら最後、私たちはそれから十分ほど無言のまま池を見つめることとなってしまったのです。


 ──こうして私の靖国参りは幕を閉じるわけですが(もちろん帰りにもそれなりの悶着はあったのですが、今はさておきましょう)、池については後日譚があります。靖国の池について、私は図書館にこもり一週間かけて資料を調べました。しかしながら池のあの神秘的な色についてだけは皆目分からず、靖国に問い合わせをしたのです。すると「池の色ですか……」と苦笑され、「少々お待ちください。」数分待った後に「あの池はですね、業者にすべてお任せしているのですが、おそらく消毒液の関係で色がついてしまったのだと思います。」私はがくんと力が抜けて、何から何まで浅はかな自分に嫌気が指してきまして……おやおや、もう誰も聞いていないようですね。

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