救救孩子

 いまからおよそ50年前。地球は、侵略者や悪の脅威に曝されていた。人々の笑顔が失われそうになった時、「彼ら」はやってきた。1966年と1971年のことである。以来、地球の平和は「彼ら」の手によって守られてきた。「ぼくら」はテレビを通して「彼ら」の活躍を見守ってきた。

 時は流れ、「彼ら」は、「ウルトラマンシリーズ」・「仮面ライダーシリーズ」として認識され、いまもなお活躍している。50年近いときを跨いで存在し続けた「彼ら」は、それらが放映されていた時期の元号にちなみ、昭和だとか、平成だとかいう区分で大別されることがある。そして2019年、平成という一つの元号が終了した。それを受けてか、新しい仮面ライダーの構想が発表された。その名も仮面ライダーゼロワンである。

 このタイトルが01からつまり新元号である令和をかけていることを想起するのは、そこまで難くないであろう。つまり2000年の仮面ライダークウガ放送開始より連綿と続いてきた平成ライダーシリーズは、その名を冠する平成という時代の終わりとともに、次のステージに移ったことが表明されたのである。

 仮面ライダージオウは平成ライダー20作記念作品ともいえ、これまでの平成ライダーにおける主役ライダー20人の能力を「継承」するものとなっている。これより以前には2010年に、平成ライダー10周年記念として仮面ライダーディケイドが放映され、ディケイドもまた、歴代平成ライダーに「変身」が可能というある種の「お祭り」作品であった。「10」という節目がそういった作品となることは不思議ではないが、奇しくも、平成という元号が終わろうとする最後の時代に、平成ライダーもまた20番目の「お祭り」的作品を放映することとなったのである。

 さて、この連載である。この連載は、別に一つの元号の終わりや始まりを言祝ぎ、それによって一つの時代を振り返ろうというものではない。とっくに令和という元号は元年を過ぎ去っている。そもそもこの原稿自体が様々な偶然によって書く機会に到ったものである。しかし、その偶然によって「平成」という元号が冠された特撮ヒーローたちを一度振り返ることの必要性があるのではないか、という気持ちにさせられた。果たしてなんの意義があるのかもわからない。しかし、なんとも言えぬ、必要性としか言うことのできない、なんらかの使命感のようなものによって、ひとまず平成という時代を彩ったヒーローたちを振りかえってみようということになったのである。

 また、以下にかかれる内容は、現在はネットの発達によって少し調べればすぐわかるようなことばかりでもあるし、いわゆるガチ勢のように書籍などによって仕入れた情報は案外少ない。よってこの連載は出典などはほとんどないであろうし、あるとすれば執筆者が長年溜め込んできた特撮薀蓄、つまり執筆者の記憶にしかない。そもそも、こんなものを書くなんてことも想定しないなかったし、一種の自己満足用の暇潰しでしかなかった。よって今回から展開される特撮話は裏話でも、ファンによる考察でもなく、おそらく特撮をめぐる有象無象のうわさや言説たちによって構成されているといっても過言ではないだろう。それをどう楽しむかは、読み手次第である。少なくとも、オタ向けのコンテンツをめぐる言説が、作品に対してなにかを補完する役割を持ってしまっている以上、ここで紹介されることになる数々の言葉もまた、きっと読者を楽しませてくれるであろう。

 さて、長々と前提を述べてしまったが、いまなお莫大な人気を誇る栄えあるライダー、ウルトラシリーズである。こどもから大きいお友達まで、バンダイの売り上げを支えるキラーコンテンツとして、永遠のぼくらのヒーローとして両者ともに不動の地位を築いている。しかし、そんな両者が、ともに「冬の時代」を迎えたのも90年代であった。90年代中ごろのことである。

 時を1980年代に戻そう。1975年の「ウルトラマンレオ」の終了を以て、しばらく中断されていたウルトラシリーズは1980年に「ウルトラマン80」の放送によって再開される。しかし、その「ウルトラマン80」が1981年に放送終了を迎えると、新作のテレビ放送によるウルトラマンは10年以上製作されなくなる。一方で仮面ライダーシリーズも「仮面ライダースーパー1」が1981年に放送終了し、1987年に6年ぶりの新作として「仮面ライダーBLACK」が放送を開始している。「仮面ライダーBLACK」は大きな人気をよび、異例の主人公続投による続編「仮面ライダーBLACK RX」が作られるも、1989年、昭和が去り平成が訪れるとともにその放送を終了させる。以来、テレビ放送による仮面ライダーも10年以上の新作なしの状態となっていた。仮面ライダーもウルトラマンもほぼ毎年新作がつくられ、もはやどの作品を見ていたかによって年齢がわかるといった状況となってしまっている現在からは想像もできないような事態である。

 しかし、そんな「冬の時代」というのもひとつの見方である。特撮オタクからしてみれば、「ウルトラマン80」以降がなく、「仮面ライダーBLACK」と続編「RX」しか話題にならなかった80年代こそ「冬の時代」という者もいる。この「冬の時代」言説は、ウルトラ・ライダーのどちらに重点を置くか、どの世代として育ったかなどによって見える景色、体感した経験が大きく異なるのは言うまでもない。もっと言えば、ウルトラマンなどは毎年新作が作られるというわけではないことも多かった。

 しかし悲しい哉、オタの性、オタの業、オタの科。いくつになっても、子どもを卒業できない通称、大きなお友達。電脳世界の一区画において、氏素性も知らぬもの同士が、年齢も背景も異なるもの同士が、それこそ同志として集う。あーだこーだうーだ。脳みそと体格と精神のみ「大人」になったものたちが、子どものまま、己の知識と経験と絶対的な印象を基に語り合っているのである。統一見解がでるわけがない。でるはずもない。なお筆者も80年代は生きていない。ひょっとすると、特撮史を、ただ作品を年代順に並べることだけではわからない「冬の時代」があったのかもしれない。ここは筆者の時代感覚とオタクの間で「冬の時代」と呼ばれることもあるということだけでこの時代を語るしかないであろう。

 それに従えば、たしかに90年代前半はヒーローの不在を感じる部分はあった。もちろんスーパー戦隊やメタルヒーローシリーズは放映していたし、筆者も当然みていた。しかし、世間一般によく知れ渡った、シンボリックな存在、ウルトラマンと仮面ライダーは基本的に再放送以外で見かけることはなかった。いまのようにYoutubeなどによる放映が中心でなかった時代、現行で放映されていないというのは案外大きな影響をもたらしていたといえよう。

 しかし、そんなウルトラ・仮面ライダー「冬の時代」を支えたヒーローがいたのをご存知だろうか。そのなかで今年『ウルトラギャラクシーファイト』によって、ふたたびスポットライトを浴びることとなったヒーローがいる。平成ウルトラシリーズの復活とともに一度は隅に追いやられることとなった『ウルトラマングレート』、『ウルトラマンパワード』そして『ウルトラマンネオス』である。

 ウルトラマングレート、パワードはいわゆる海外製作ウルトラマンであった。グレートはオーストラリアで製作され、1990年にオリジナルビデオで展開された。オーストラリアで製作されたというだけあって日豪合同スタッフであり、キャストも基本的にオーストラリアの役者が起用されている。初の海外での製作は、お互いの長所が活かされる形となっており、広大なオーストラリアの大地を使用したロケ、着ぐるみだけでなく、パペットを使用したり、日本の特撮でおなじみの木や建物越しのアングルがあるほか、ストーリーにおいても環境問題が反映されたり、人類とウルトラマンのファーストコンタンクトが丁寧に描かれたりするなどの意欲的な作品となっている。グレートは後に1995年についに日本の地上波で放送されることとなる。読者にはこれをみていた記憶があるものも多いのではないだろうか。さらにグレートはアメリカのケーブルテレビで放送され、人気を博したことからアメリカ製作ウルトラマン、すなわちウルトラマンパワードへと繋がっていく。

 ウルトラマンパワードは、先述したようにアメリカで製作されたウルトラマンである。基本的には初代ウルトラマンのリメイクではあるが、ハリウッドの技術が活かされており、ウルトラマンおよび怪獣の造形はこれまでの作品とは一線を画す「リアル」なものとなっている。現在でもパワード怪獣のデザインはオタクたちの間でも評価されていることから、そのデザインの洗練っぷりが窺える。とくにウルトラマンのスーツはこだわりが具わっており、スーツのよれやしわが見えづらいものとなっていて、スーツを着たヒーローというよりはより肉体的な質感を持った宇宙人という印象を見るものに与える。さらにウルトラマンの象徴たるカラータイマーも一工夫がなされており、カラータイマー点滅時はタイマー周辺の装飾も光る、また感情が高ぶると目が赤くなるなどのギミックも施されている。さらにパワードはアクションの面においても特徴があり、アメリカの子ども番組における放送コードの関係で、あまり派手な殴る蹴るといったアクションができず、基本的に押すような動きとなっている。一部ではこれを押すトラマンなどとというようにネタにすることもあるが、筆者としては、この押すような動きは殴る蹴るといったようなよく見られるアクションとの差別化ができており、むしろ一種の味わいとなっていると見る。アクションの制約のためか、演出としてはむしろ重厚感を増すような工夫がされており、さらに見方を変えればこの押すような動きがまるで相撲のつっぱりのようにも感じられる。初代リメイクを意識した海外製作ウルトラマンだからこそ、この動きが逆に日本発のヒーローという印象を呼び覚ましてくるともいえるだろう。さてそんなパワードは1995年に日本の地上波で放映された。余談であるが、アメリカ製作のウルトラマンの現地での評価はどうであったかというと、視聴率がふるわなかったそうである。しかし、一部では、そもそも放送されたデータすらないという説まで存在する。真相如何は本稿では問題にはしないが、海外進出の壁は高かったようである。

 日本での地上波放送に話を戻そう。グレートもパワードも放送は1995年であるが、実は製作順とことなり、地上波で最初に放送されたのはパワードからであった。よってこの頃の記憶をもつ者にとっては、グレートよりパワードのほうが先の作品であったと感じるものも多いのではないだろうか。しかし、海外製作とはいってもこの二作の地上波放映がウルトラ、仮面ライダーといった二大ヒーロー不在の時代を間違いなく支えていた。当時のおもちゃ屋にはウルトラマンの目覚まし時計が販売されていたが、その目覚まし時計はパワードのデフォルメであることが基本であったし、ヒーローが集合するゲームでもパワードやグレートがウルトラマンとしての看板を背負っていた。しかし、日本製作の新しいウルトラマンの登場も当然待たれていた。

 日本製作のウルトラマンといえば、もう一作品この時代を支えていた、特殊なウルトラマンたちがいる。ウルトラマンネオスとセブン21である。ウルトラマンといえば多くのものにとって放映されるのが当然と考えるであろう。しかしこのウルトラマンはそうではなかった。ウルトラマンネオスとセブン21はイベントや出版物上でしか見れないウルトラマンという企画でスタートしているのだ。そのため、1995年当時、ウルトラマンのイベントやポスター、出版物などで目にしたものも多いのではないだろうか。筆者も新しいウルトラマンが始まると勘違いして目を輝かした記憶がある。この作品も原点回帰が意識され、初代ウルトラマンとウルトラセブンのデザインを踏襲したものとなっている。イベントなどでしか目に出来ないウルトラマンとはいっても、パイロットフィルムまで作成され、1996年のウルトラシリーズ30周年を記念して地上波放送が目指されていたというが惜しいことに、この時はそれはまだ実現しなかった。

 このようにして1990年代におけるウルトラ冬の時代は海外製作ウルトラマンと露出メディアが限定されたウルトラマンによって支えられていた。もうひとつ、この時代を支えていたウルトラマンがいるのだが、それは理由あって後述することとしたい。 だが、こうした状況に全国の小さなお友達も大きなお友達も満足していたとはいえないであろう。グレート・パワードは海外製作(もちろん海外製作が悪いという意味ではない)であり実質は再放送に近く、さらに新しく作られたウルトラマンはテレビ放映ではない。待たれていたのだ。新しい時代の新しいヒーローを。むしろこの時代を支えていたウルトラマンたちによって、新しいウルトラマンの登場はさらに熱望されることとなったといえるであろう。そして、1996年9月、地球がふたたび侵略者や悪の脅威に曝されたとき、ついにさらに進化した光の巨人が降り立つことになる……。

 仮面ライダーのほうはどうであったろう。はっきりといえばネオスや海外製作ウルトラマンのようにこの時期を支えた仮面ライダーはいない。せいぜい再放送が関の山である。仮面ライダーブラックRX以降は、1992年にオリジナルビデオの『真・仮面ライダー序章』が発表され、翌年には劇場作品『仮面ライダーZO』、おなじく劇場作品として1994年に『仮面ライダーJ』が存在していたが、これらの作品が手軽に見れるものであったかには疑問がつくうえに、テレビ放映という連続性をもつものではなかったため記憶というものにもたらす影響力は後の平成ライダー作品に比べれば大きくはないであろう。まことに「冬の時代」だったのはライダーのほうであろう。

 しかし仮面ライダーの存在感は大きく、おもちゃ屋や子ども向け書籍にはかならず仮面ライダーの存在はあった。しっかりみたことはなくとも存在は知っている。それが仮面ライダーであった。この時代いまでいう平成ライダーの役割を担っていたのはメタルヒーローシリーズであろう。仮面ライダーとは別シリーズとしてスタートしていたこのヒーローは戦隊モノだけではない東映ヒーロー作品として人気を博していた。巨大化しないヒーローというのは重要である。巨大なヒーローは神秘さを与える一方で、実物大のヒーローは子どもにとって身近さを与える。

 だが、戦隊だけではある問題が生じる。ごっこ遊びができるのは5人から6人までなのである。ごっこ遊びを通じて子ども達は早々に知ってしまうであろう。誰もがヒーローになれるわけではない、と。子どもが「社会」を知るのはいつか。ひょっとしたらヒーローごっこのときというのもあるかもしれない。そこでメタルヒーローの存在はでかい。メタルヒーローのおかげで1~3人ほどまではさらにヒーロー役をすることが可能になるのである。そういった急な作品への視点を置き去りにする話はさておき、実際メタルヒーローのノウハウは後の平成ライダーに継承されるため、この時期戦隊を除いたヒーローとして支えていたのはいうまでもない。

 だが、そのメタルヒーローにちょっとした変化が起きる。1997年に放映された『カブタック』と1998年の『ロボタック』である。この二作はそれ以前のビーファイターなどと異なり、変身しない。およそ二頭身ほどのデフォルメキャラが戦闘の際、変形しよく見るヒーローの頭身になるのである。コメディチックでもあり、邪悪を打ち倒す正義のヒーローというわけでもない作品はそれなりに今見ても十分なおもしろさを持っている。だが、その次作は変形するわけでも戦闘するわけでもない作品『燃えろ!ロボコン』であったのは衝撃である。幼心にロボコンはたいへんおもしろかったが、これはもはやメタルヒーローシリーズすら終わったことを示してもいた。大きなお友達の衝撃はいかほどであったのか。残念ながら想像すらできない。

 だが、この作品のおもしろさとは別に、ロボコンのリメイクはこの後の作品によって、一種の伏線ともなってしまった。ここで、一旦考えてほしい。ロボコンの原作者は誰なのかを。なにをかくそう仮面ライダーの原作者石ノ森章太郎である。こうしてメタルヒーローの蓄積とカブタック・ロボタックというコメディチックな作品の登場を経て、変身・変形ヒーローですらないロボコンの石ノ森作品リメイクといったクッションを挟むことで、ウルトラマンに遅れること約3年半、新しいヒーローが新しい伝説とともに平成の世に甦る……。

 さて、満を持したヒーローの登場に言及して今回のお話を締めるまえに、もうひとつだけ1990年代のライダー・ウルトラ「冬の時代」を支えたあるヒーローたちに触れなければならない。一言でいうなら、とんねるずである。とんねるずは1988年から90年ころ仮面ライダーのパロディとして仮面ノリダーというコントをやっていた。いよいよ仮面ライダーの放映も劇場作品もない1997年にはSP放送などを行っていたくらいである。そしてウルトラマンにおいては、出光とのタイアップ作品にして劇場作品であった『ウルトラマンゼアス』にとんねるずは重要な役で出演していたのである。つまりとんねるずもまた1990年代の「冬の時代」を支える重要な存在であったのだ。

 こうして、1990年代における特撮「冬の時代」は二つの作品の登場をもって終わりを告げる。1996年9月、古代文明の石造から復活した光の巨人ウルトラマンティガが、2000年1月、古代遺跡から発見されたベルトによって誕生した戦士仮面ライダークウガが、ぼくらの地球に現れる。奇しくも、古代がキーワードとなったこの二作はまさに、ヒーローの甦りを象徴しているかのようでもある。古き伝説を継ぎながら、新しい伝説となって、「ぼくら」のヒーローが帰ってきた。

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